【キングダム】漂(ひょう)が信に与えたものとは?
皆様は漂(ひょう)という登場人物はご存じでしょうか?
そう質問するとキングダムファンで知らない人はいないのではないでしょうか。
登場シーンといったら本当に序盤と回想シーンのみですが、大切な信が活躍するところで登場したり、登場シーンもそしていなくなってしまうシーンも劇的でした。
そんなところが漂(ひょう)という今日れるなキャラクターを皆さんに印象付けたのでしょう。
今回はそんな漂(ひょう)について、信にとってどんな存在だったか。
史実では本当に存在しなかったのか?
解説したいと思います。
【キングダム】漂(ひょう)が信に与えたのは、無償の愛情だった
実在の人物と虚構の人物が入り交じっている「キングダム」ですが、重要キャラの中で河了貂と漂は原先生のオリジナルです。
オリジナルキャラは物語をドラマティックに動かすために作られるはずですから、この2人には原先生の思いがたっぷり乗っているのでしょう。
さて、その1人、漂は物語序盤の最重要キャラクターです。
主人公の信と一緒に里典の下僕として育った幼なじみです。
キングダム第1巻8ページには、草履を作っている漂の元へ連れられてくる信の姿がありましたから、漂のほうが兄貴分になるのでしょう。
里典の家に来た頃の信は、ギラギラした感じはなくぼんやりとした子供でした。
戦争孤児になってしまい、どこで野垂れ死んでもおかしくない自分が行き場所を見つけて、安心していたのかもしれません。
そんな信に
「奴隷と大差ない」
と現実を突きつけたのが漂です。
さらに、そこから抜け出すための方法、すなわち
「下僕から抜け出すために武功をあげること。そのためには剣の腕を鍛えること」
も信に教えてくれました。
本来なら、漂は自分の夢に信を誘う必要はなかったはず。それだけライバルが増えるのですから。ですが漂は信を見捨てなかったのです。
もしかしたら、漂もひとりで夢を追うことが寂しかったのかもしれません。
しかしそれよりも深く感じ取れるのは、信に対する無償の愛情です。
それは信との会話に随所に見られます。
盗賊になって里典の家から出て行くと主張する信には
「そんなもんになるために今まで鍛えて来たんじゃないだろうが バカかお前」
キングダム一巻
温厚な漂が本気で怒りました。
そのわりに作業を手伝わず寝てしまう信には、文句は言ってもさほどの怒りを見せません。
夢と人としての道を信に失わせないということ以外はおそらく、漂にとってそれほど重要ではなかったに違いありません。
また、これは政のセリフですが、
「王宮の中で漂はお前の話ばかりしていた」「まるで自分の宝物を見せるかのように目を光らせてな」
キングダム第3巻148~149ページ
と表現されていることからも、漂が兄のような父親のような愛情を信に注いでいたことが読み取れます。
だからこそ、信は漂がいなくなったときに途方に暮れました。
先にも書きましたが、信は無意識下で漂の庇護の元にいたのですから。すべてを漂に任せていた信が、漂の死を受け止めて自分の足で歩き出す。
世の中が見えていない子供である信が成長する通過儀礼として、親もしくは兄という立場であった漂の死は、作品上で必要なことだったと考えられます。
しかし、その後も
「こんなこともあろうかと 縄抜けの術もばっちし漂と特訓済みだぜ」
「無問題! 片脚の状況もきっちり漂と特訓済みだ」
キングダム(第3巻9ページ)
キングダム(第2巻ページ)
など、漂は至るところでその存在感を発揮しています。
信の半身として漂が今も存在していること、信のベースが漂との特訓であったことを読者はつねに認識させられています。
だからこそ、2人分の夢を背負った信を読者は応援したくなるのです。死んでもなお、物語で要な役割を任せられている。
漂はなかなか重要な唯一無二のキャラクターだといえるでしょう。
【キングダム】漂(ひょう)本当に史実には存在しない?政と漂の間には、本当につながりが ない?
ところで、漂にはいくつかの疑問があります。
まず1つめは、漂はどうやって戦場に出て武功をあげるつもりだったのか、ということ。
昌文君、政との会話で、信は
「下僕では戦場に出られない」
と知りました。
世知に通じ、頭も良かった漂がそれを知らないとは考えにくいのです。
とすると、誰か後ろ盾になってくれる人にアテがあったのでしょうか。
ならば、最初からそちらに世話になっていれば、里典の妻に
「またあんな使えない子供を引き取ったのかい!」
キングダム 第1巻8ページ
と言われることもなかったはず。
このセリフ自体は信を引き取った里典への言葉ですが、「また」と言っていることからして、多少なりとも漂もそう思われていたと考えられます。
里典の家に居なければいけない理由があったのでしょうか。
2つめは、政と漂があそこまで似ていたのは、本当に偶然なのかということ。
政の母・秦太后は、夫の荘襄王(そうじょうおう)が趙から先に脱出してしまったため、政とともに大変な苦労をしました。
何しろあの長平の戦いがあってから、まだ10年足らずのこと。趙人の秦への憎しみが一番深い時期だったのです。
金を稼ぐために太后ができたのは、身体を売ることだけでした。
もし、その時期に望まぬ妊娠をしていたとしたら?
もちろん史実にはこんな事実はありませんが、物語の1つの可能性としては面白いかもしれません。
【キングダム】そもそも漂とは何者なのか?
漂(ひょう)は、のちに李信将軍となる信に、大将軍を目指すという道を示し、共に剣術の腕を磨く「キングダム」の物語における最重要キャラクターのひとりです。
信が下僕の如き生活を送る戦争孤児の身から天下最強の大将軍を目指すという途方もない夢を持ったことも、いきなり戦乱という荒波に飛び出し名を上げる活躍ができたことも、漂との出会いがあったからこそです。
李信は『史記』にもあまり記録の残っていない謎多き人物ですが、といっても王族と武将が普通に出会ったのでは信と政のような関係にはなりえません。
もちろんタメ口でしゃべり合える間柄になろうはずもありません。
それを可能にするのが、信の親友であり、政とうりふたつであるという標の存在なのです。
そして漂は、史実にはない王弟成嬌の1度目のクーデターに巻き込まれ命を落としてしまいます。
この後の信は、同じ夢を抱いた親友の突然の死をされる受け止め、自らの中に内在させることで中華随一の大将軍を目指す原動力にしていると言えます。
『史記』の中で漂という字が使われた言葉に、戦場で流れ出た血が川となり死体が漂うほど死傷者が多いという意味の
「流血漂鹵(りゅうけつひょうろ」
とはないかと見出せます。
つまり漂とは、戦乱吹き荒れる流血の春秋戦国時代に剣技だけでのし上がる信を、川の流れのように導く存在という意味合いも持っているとも思わせるのです。
【キングダム】漂(ひょう)戦災孤児であり下僕のように生きる子供としては利発すぎる漂
漂は信と共に孤児の身から将軍を目指すという夢のような事を語りながらも
「俺達には生活力がない。飢え死にするだけだ」
キングダム1巻
など世の中を知っているような言葉を口にします。
ときには
「約8年前の趙王”武霊王、が中華で最初に騎馬隊をつくったんだ。馬は車を引くものという概念を打ち壊してな!」
キングダム3巻
と、歴史の知識がなければ語れない話もします。
これらのことから漂は単なる平民出の戦災孤児ではなくどこかでしっかりとした教育を受けていた?
とも思わせるのです。
【キングダム】漂(ひょう)漂が政とうりふたつなのはもしかして血の繋がりがある?
のちに始皇帝となる政は、子楚(のちの荘襄王)の皇后の子ではなく、皇后がそれ以前に関係をもっていた呂不韋との間にできた子供であり、呂不韋はそれを知りながら子楚の皇后にさせたと書かれている史書があります。
「私と丞相―かつて十七年前の恋人二人が異国の地奏を乗っとるー」
キングダム8巻30P
といった皇后のセリフがあり、『キングダム』の中でも皇后と呂不韋の関係は描かれています。
また昔から王族に双子が生まれると不吉でもあるなどといわれ、双子が生まれるとひとりをその場で殺す、または密かに他に預けるといった物語が数多く語られています。
さらに史実によって、始皇帝の母について、邯鄲の歌姫であるとも、趙の富豪の娘だったとも書かれているなど諸説があり、呂不韋が子楚にあてがった美女は何人か存在したとも言われています。
そうであれば、今後漂と政が双子であった、または漂は政が腹違いの兄弟であった、と描かれても不思議ではない気がします。
【キングダム】漂(ひょう)という名前に込められた意味とは?
漂の文字からまず思いつく言葉が「漂流」「漂着」ではないしょうか。
信を春秋戦国時代という大河に流れ出させることとなったのも漂です。
そして信の親友漂の墓参りに関するセリフで
「行くのは二人の夢がかなってからだ」
キングダム5巻
といったものがあります。
まさにこれは秦の李信将軍となった信が、漂の墓参りをするといった『キングダム』の漂着、つまりラストカットを想像させる言葉であるとも思わせます。
漂というのは、そんな『キングダム』の物語全体を見渡した名前であるとも考えられるのです。
【キングダム】里典は漂(ひょう)の葬式をなぜ盛大にやった?
漂は、身分が高い人物であったから盛大な葬式がとりおこなわれたといった考え方も語られていますが、もしも里典がそれを知っていれば下僕の如く扱うわけはありません。
さらにこの時点では政る昌文君も壁も、ましてや信も、王都には帰還しておらず、漂の葬式に宮廷が関係していたととも思えません。
里典が盛大な葬式を行ったのは、漂がたんに村から宮廷に仕えるほど出世したからと考えるのが順当なのではないでしょうか。