2021年大河ドラマで渋沢栄一の従妹として登場する尾高惇忠(じゅんちゅう)。
田辺誠一さん演じる笑顔の先生です。
今後青天を衝けでどのように描かれていくのか。
どんな人で、どんなことをした人物なのか解説します。
是非最後までご覧ください。
大河ドラマ『青天を衝け』をご覧になりたい方はこちら↓
2021年【大河ドラマ】尾高惇忠(じゅんちゅう)栄一の従妹であり論語の師
渋沢栄一の従妹であり論語の師でもあった尾高惇忠(じゅんちゅう)は、1830年武蔵国榛沢郡下手計(しもてばか)村(現在の埼玉県深谷市)の名主尾高保孝の子として生まれました。
尾高惇忠(じゅんちゅう)
1830年~1901年
出身地:武蔵国榛沢郡下手計(しもてばか)村(現在の埼玉県深谷市)
父:尾高保孝
農業と藍玉商売のかたわら、幼いころから学問と剣術に才能があり、17歳のころに曽祖父が建てた生家で私塾を開きました。
近くの子供たちに漢籍などを教えていました。
渋沢栄一や渋沢喜作も教え子の一人です。
「知行合一(ちぎょうごういつ)」
の陽明学に精通し、栄一の人生に大きく影響を与えた人物です。
1863年に、栄一や従弟の喜作らとともに高崎城を襲って武器を奪い、横浜外人居留置を焼き討ちにした後、長州と連携を図って倒幕を果たすという計画を立てるが、帰郷していた弟の尾高長七郎の説得によって中止されました。
ずいぶん過激なこともしたんですね・・・大河ドラマの中ではまだ考えにくい。
1868年の戊辰戦争の折には彰義隊のに参加するが、後に脱退し、喜作らと振武軍を結成して飯能にあった能仁寺を拠点に韓軍と戦うが敗走し、この戦いで淳忠の弟尾高平九郎は自決し、淳忠と喜作は箱館まで転戦しました。
維新後の1869年、役所による農業用水の取水口変更に関して抗議を行い、政府に陳情して問題を解決したことが政府高官に評価されました。
また、大蔵省に出仕していた栄一の従兄ということもあり、新政府に出仕します。
(栄一が淳忠の妹でもある千代と結婚したため義兄でもありました)
1870年には民部省監督権少佑(みんぶしょうかんとくごんのしょうゆう)に、ついで、大蔵省勧業寮富岡製糸場掛となりました。
富岡製糸場設立には用地のの選定から携わり、
「至誠如神」を信条に経営にあたりました。
また、当初、なり手のいなかった工女をを集めるため、食費などは工場が負担し教育にも幼少期の栄一同様に手を尽くし、工女としての技術力だけではなく、工女達のの教養に関しても力を入れました。
1876年に富岡製糸場を辞め、翌年の第一銀行頭取の栄一の依頼を受け、盛岡支店の支配人として着任し、1881年には商工会議所の前身にあたる盛岡商法会議所を設立し、盛岡の産業の発展に尽力しました。
1892年に、同会議所を辞め1901年東京にて死去し、71年の生涯に幕を閉じました。
2021年【大河ドラマ】尾高惇忠(じゅんちゅう)栄一との関係とは?
私の人生の基礎を作った師であります。
「藍香(尾高惇忠)ありて青淵(栄一)あり」
※今日の自分があるのはひとえに淳忠の教えがあったからだ
栄一の尾高惇忠に対する気持ちがよくわかる言葉です。
栄一は7歳で淳忠の私塾へ通い始め、本当の知は実践が伴わなくてはならないという陽明学の
「知行合一」
の教えを基本方針としたこの塾で人間としての基礎教育を受けました。
以来、生涯に渡り淳忠を師と仰ぎました。
実際一橋家で出仕できたのも、淳忠から、学問だけではなく人の道も教えられたといっても過言ではありません。
「学あり行いあり君子の器、我また誰を頼らん、何ぞわれを捨てていけるや」
惇忠の墓碑に書かれた栄一の言葉です。
大河ドラマ『青天を衝け』をご覧になりたい方はこちら↓
2021年【大河ドラマ】尾高惇忠(じゅんちゅう)日本初の伝習工女は淳忠の娘だった?
まだ外国人をあまり見たことがない日本人がほとんどだった明治初期。
フランス人を指導者に招いた工場に娘を奉公に出す家など無く、富岡製糸場には工女のなり手がいませんでした。
初代場長だった淳忠は14歳だった実の娘・勇を西洋式製糸技術習得のため工女第一号として入所させました。
製糸場には「女工哀史」のイメージもあるが、富岡では労働時間は1日平均7時間45分、日曜は休日、食費、医療費などは国の負担と先進的な労働環境でした。
当時としてはとても革新的で好待遇な今でいう働き方改革を実現していたのですね・・・さすが!
こうした取り組みが評判を呼び、当初「フランス人が工女の生き血を飲む」などと恐れられた製糸場に、その後、女工順調に集まるようになりました。
機械製糸の普及と技術者育成という目的を果たした政市場は三井家に払い下げられ、その後独立します。長期間、製糸工場として運営されました。
2014(平成26年)年「富岡製糸場と絹産業遺産群」として世界遺産に登録されました。
2021年【大河ドラマ】尾高惇忠(じゅんちゅう)観光尾高惇忠生家
所在地 | 〒366-0002 埼玉県深谷市下手計236 |
---|
大河ドラマ『青天を衝け』をご覧になりたい方はこちら↓