平岡円四郎(ひらおかえんしろう)という人物とは?
2021大河ドラマ『青天を衝け』では堤真一さんが演じております。
2021大河ドラマ『青天を衝け』12話作中では高崎城焼き討ちを企てていた渋沢栄一、喜作、惇忠が登場していた場面の重要な時にスポット的に栄一、喜作を臣下に誘うという行動に移していました。
『そんなでっけー志があるってんなら・・・お前らいっそおいらに仕えて見ねーか?』
へ?
お前らの狙いが何かは知らねーが、おめえが思うよりずっと世の中は大きく動いている。
だが、お前の言う通り百姓の身分ではもとより見ることも知ることも出来ぬであろう。
でっけーことをしてぇーなら・・まぁ文句はあるだろうが、武士になっちまった方がいい
武士に?
そうだ。それにもし万が一おめえらがぶっ潰してぇっていうのがご公儀だというなら我が殿がいる所は江戸のお城のど真ん中だ。
手っ取り早くぶっ潰しに行くならもってこいのばしょだぜぇ・・・
どうだい?
いやぁ思いがけねえ言葉ですが俺たちは田舎に中もいるし・・・(びっくりして戸惑っている表情)
まぁ気が変わったらいつでも俺んとこへ来な・・・悪いようにはしねねかっら
その発言も昔ながらの武士というよりはかっこいい近代的な考えを持つ武士として描かれていきそうな、今後重要な人物として渋沢栄一に影響を与える人物になっていきそうに描かれていました。
そんな平岡円四郎(ひらおかえんしろう)について今後どうなるるか。
ネタバレになってしまうかもしれませんが。
解説していきます。
是非ご覧ください!
平岡円四郎(ひらおかえんしろう)渋沢栄一を一橋家に導いた徳川慶喜の側近
旗本の家に生まれます。
川路聖謨(かわじとしあきら)、藤田東湖(ふじたとうご)らに推挙されて、1853年、一橋家小姓となり、徳川慶喜に仕えるようになる。
13代家定の将軍後継ぎ問題では、慶喜の将軍擁立に奔走するも失敗します。
井伊直弼(いいなおすけ)ら南紀派から危険人物とされ、安政の大獄で小十人組に左遷、その後、甲府勝手小普請を命じられます。
慶喜の将軍後見職復帰に伴い、再び一橋家に仕官します。
慶喜からの信頼も厚く、上洛にも随行しました。
1864年には、側用人兼番頭、家老並にまで出世して重臣となるが、攘夷派から奸臣(ヤバイ家臣)とみなされ、同年、水戸藩士に暗殺されます。
大河ドラマでも描かれていた通り、郷里で倒幕の志を抱いていた渋沢栄一と渋沢喜作が、一橋家に仕官する道を開いた人物として知られています。
高崎城乗っ取り計画がとん挫した栄一と喜作は、江戸で知遇を得た平岡の家来の名目で京へと逃れます。
同年、幕史に目をつけられ今日で進退に窮した2人に対して、平岡は
「人足飛びの構想では事は成らない、権力のある人に意見を進言する方が賢明だ」
と、一橋家への士官を勧めました。
理想だけでは政治改革は成しえないことを悟った栄一は一橋家に仕える決意をしたといいます。
ネタバレになってしまうかもしれませんが、
1863年将軍後見人職として慶喜の上京準備中、尊皇攘夷派に江戸門外で殺害されました。
当時慶喜は攘夷派とみられていたが、攘夷が進まないのは平岡円十郎や中根長十郎らの進言によるものだと勘違いされてしまいました。
犯人は判明していませんが水戸藩浪士という説もあります。
平岡円四郎(ひらおかえんしろう)倒幕の志を捨てた栄一、人生の岐路を左右した恩人
人生の岐路に立った若き渋沢栄一に影響を与えた平岡円四郎(ひらおかえんしろう)。
栄一は後年、この恩人のことを
「実に親切な人物」
と評しています。
陸奥宗光を語る際、平岡をよく似ていた人物として挙げ
「相手の意中を言い当てることの名人」
「見識張ったところのある人」
と回想しています。
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平岡 円四郎(ひらおか えんしろう)は、幕末期の一橋家の家臣(家老並)。徳川慶喜の側用人。 目次. 1 生涯; 2 評価; 3 脚注. 3.1 注釈; 3.2 出典. 4 参考文献; 5 平岡円四郎が登場する作品; 6 関連項目. 生涯[編集]. 旗本・岡本忠次郎の子で、旗本・
平岡円四郎 - Wikipedia