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軍事の近代化に尽力した高島秋帆(たかしましゅうはん)
高島秋帆(たかしましゅうはん)が何をした人なのかご存じな方はかなりの歴史通ではないでしょうか。
2021大河ドラマ『青天を衝け』では玉木宏が熱演し、いったい誰この人は誰?
と話題になりました。
彼の名を今回調べるたびに彼が日本にもたらした軍事的な貢献は記事に値すると思い解説させていただきます。
ちなみに東京都の高島平の地名は彼の影響によるものです。
高島秋帆(たかしましゅうはん)が行った歴史的偉業の数々を是非最後までお楽しみください。
是非ご覧ください!
高島秋帆(たかしましゅうはん)軍事の近代化に尽力した西洋砲術の導入者
通称は四郎太夫。
長崎町年寄・高島茂起(四郎兵衛)の三男として生まれます。
後に父の後を継ぎ、長崎会所調役頭取となりました。
大阪最大の私塾である泊園書院(関西大学の前身)を開いた漢学者の藤沢東畡(ふじさわとうがい)が、長崎留学中に四郎兵衛宅に寄宿したことから、少年時代に東畡から3年間学びました。
長崎港の防衛を担当する出島台場受持として父から萩野流砲術を学び、その後、出島でオランダ語や西洋砲術を取得します。
町年寄の特権でもあった脇荷貿易による資金力をを背景に私費を投じて大砲、小銃、兵学書などを輸入して研究を重ね、高島流砲術を創始します。
1840年、幕府に上書きして、諸国が英国に敗北したアヘン戦争の戦況を伝え、西洋砲術の採用、兵制の近代化を進言しました。
翌年、幕命により出府し、武蔵国徳九ヶ原(現東京都板橋区高島平)で自身が所持する輸入砲の実射と歩騎兵の演習を披露しました。
この日本で初めてとなる西洋砲術演習で秋帆の名声は高まり、幕府は高島流砲術を採用します。
幕臣の江川英龍(えがわひでたつ)、下曽根信敦(しもそねのぶあつ)に高島流砲術が伝授され、数多くの門人が秋帆のもとに集まりました。
また、この演習と前後して、薩摩藩、佐賀藩など諸藩が高島流砲術を採用し、帰国した秋帆のもとに藩士を派遣する長州藩のような例もありました。
しかし、幕府守旧派からは白眼視され、1842年、幕府町奉行・鳥居耀蔵(とりいようぞう)、長崎奉行・伊沢政義(いざわまさよし)らのでっち上げのよって逮捕され、江戸に送られます。
再吟味の末に、1846年、中追放の判決を受け、武蔵国岡部藩(現埼玉県深谷市)に預けられました。
私高島秋帆(たかしましゅうはん)が岡部藩で幽閉の身となっている間に、外国船の出没により社会の情勢が大きく変化します。
捕縛から10年余りの月日がたった1853年、ペリー戦隊の来航の伴い、江川英龍(えがわひでたつ)の進言により赦免、喜平と名を改めます。
江川のもとで、大砲作りに従事し、世の中で攘夷の声が高まる中、開国・通商を説いた「嘉永上書」を幕府に上申しました。
1855年には幕臣となり、講武所砲術師範を任じられ、日本の軍事の近代化に尽力しました。
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高島秋帆(たかしましゅうはん)少年時代の渋沢栄一は秋帆のすぐ近くにいた
10年にわたり、岡部藩の預かりの身となっていた秋帆。
栄一の生まれ故郷である血洗島村は岡部藩の領内で、秋帆が幽閉されていた時期は、1840年生まれの渋沢栄一の少年時代にあたります。
秋帆が栄一と出会っていたかは定かではないが、存外近くに2人はいたことになります。
岡部藩では秋帆は客分扱いで、藩士に兵学を教授してたと伝えられ、諸藩も秘密裏に秋帆に接触していたと伝わっています。
秋帆が、日本初の西洋砲術の演習を行った徳九ヶ原には、1922年に建てられた記念碑があります。
現在の地名・高島平は高島秋帆に由来しています。
この碑の建設にあたり、栄一は200円寄付しました。
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高島秋帆(たかしましゅうはん)徳九ヶ原の演習では不発弾は1発もなかった??
秋帆の父は、萩野流砲術の師範でした。
1808年、長崎港に英国軍港が侵入したフェートン号事件が起きており、和式大砲では西洋の軍艦に歯が立たないことがわかっていた高島親子が、目を向けたのが、西洋砲術でした。
徳丸ヶ原の演習には、総勢約100人が参加しました。
老中の水野忠邦、諸大名らが見守る中、モルチーノ砲やホイッスル砲の操練、ゲベール銃の一斉射撃などが披露され、大砲は一発の不発弾もなかったといわれています。
秋帆が捕らえられたのは、謀反の罪。
反蘭学派の鳥居の企てだとされるが、黒幕は水野忠邦との説もあります。
阿部正弘が老中首座になると、謀反は取り消されましたが、軽微な罪でちゅう追放となりました。
我慢の時を過ごし、再び日の目を見た秋帆だが、、江戸では長屋住まい。
かつて町年寄として10万石大名に匹敵するといわれているほども財力があった秋帆だが、生活はとてもつつましいものになっていました。
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