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藤田東湖(ふじたとうこ)3分で解る2021大河ドラマ水戸学の大成者ネタバレ完全解説

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【3分で丸わかり日本史】(105)藤田東湖「青天を衝け」渡辺いっけい熱演!尊皇攘夷を広めた徳川斉昭の御側用人!安政の大地震で圧死!

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是非、最後までご覧ください。

多くの尊攘志士に影響を与えた水戸学の大成者

藤田東湖
藤田東湖

1806年、水戸藩士・藤田幽谷(ふじたゆうこく)の次男として誕生。
幼いころから父の影響を受けて学問に興味を持ち、父の私塾・青藍舎で儒学を学ぶようになる。

1819年からは、江戸に出て儒学と武術を学びます。

1824年、5月に常陸大津浜(北茨城市大津)にイギリスの捕鯨船員が上陸した時には、攘夷のために駆け付けたといわれています。

1824年、5月に常陸大津浜(北茨城市大津)にイギリスの捕鯨船員が上陸した時には、攘夷のために駆け付けたといわれています。

20歳で家督と父の私塾を継ぎ、彰考館で『大日本史』の編纂へんさん(多くの材料を集め書物をまとめること)を担当します。

『大日本史』とは?
日本の歴史書のことです。
水戸藩主徳川家が編纂へんさんしたもので,2代藩主光圀が明暦3年(1657)に着手し,明治39年(1906)に完成しました。
作成期間は249年にもわたり、397巻もあります。

あきちゃん
あきちゃん

水戸藩主・徳川斉脩(とくがわなりのぶ)の跡取り問題が持ち上がった際には、改革派として斉昭を支援し、斉昭の藩主就任後は群奉行や江戸詰通事等の要職に就きます。

水戸藩主・徳川斉脩(とくがわなりのぶ)の跡取り問題が持ち上がった際には、改革派として斉昭を支援し、斉昭の藩主就任後は群奉行や江戸詰通事等の要職に就きます。斉昭の腹心として藩政改革を推進し、武備の充実などが急務であることを訴えました。

1835年、御用調役、1840年、側用人にと次々に昇進します。

藤田東湖
藤田東湖

斉昭の支持で『弘道館記』の草案を起草します。

藩校・弘道館の設立のために尽力します。

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1844年には、斉昭に従って出府するが、その後、斉昭が幕府から隠居謹慎処分を受けると、免職処分となり、江戸の藩邸の一室に幽閉されました。

その間に『回天詩史』『常陸帯』『和文天祥正気歌』などの草稿を記したほか、『弘道館記述義』を執筆しました。

ここに書かれた尊皇攘夷そんのうじょういの思想は、多くの幕末の志士たちに影響を与えます。

斉昭が1849年に謹慎を解かれて再び藩政に関わるようになると私塾を再開し、1852年に蟄居処分ちっきょしょぶんが正式に解除されました。。

翌年、ペリー来航に伴い海防参与として幕政に復帰した斉昭と共に江戸に向かいます。

幕府海岸防禦御用掛ぼうぎょごようがかりとして斉昭を補佐しました。

その後、側用人に復帰し、この時期には、横井小楠(よこいしょうなん)や橋本左内(はしもとさない)、佐久間象山(さくましょうざん)、西郷隆盛(さいごうたかもり)をはじめとする、地藩の用人とも活発に交流します。

藤田東湖
藤田東湖

対外的に危機的状況にある時代だからこそ、『正気=忠君愛国の道義的精神』を広め、国家は独立を確保することが必要だと説きました。

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1885年10月2日、小石川藩邸で安政の大地震に遭遇します。

母親を背負って逃げようとしたところ、落ちてきた梁の下敷きになって亡くなりました。

母は奇跡的に助かり、彼の逸話は親孝行の手本と称えられたといいます。

安政の大地震(江戸地震とも呼ばれる)
夜10時ごろ、関東地方南部 で発生した推定震度6の地震。
当時の人々が寝静まった時分で、江戸の町に甚大な被害をもたらしました。

あきちゃん
あきちゃん

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水戸学に傾倒した栄一が「先生」と崇拝した存在

藤田東湖と渋沢栄一は直接会ったことはなかったが、若い頃から水戸学に傾倒していた栄一は、『常陸帯』や『回天詩史』を愛読し、多大な影響を受けたといいます。

1922年、東湖の没後70年を記念して開催された「東湖先生記念会」では、栄一が会長を担当しました。

開会の辞で東湖への思いや、彼の弟子から渡仏を勧められたことなどを語ったほか、自らの『常陸帯』の写本や水戸家の秘訓の掛け軸などを展示したとされています。

また栄一は天狗党と率いて挙兵し、幕府軍に敗れて死罪となった東湖の四男の小四郎とは数回あったことがあるといい、小四郎を

「すこぶる立派な人物」

と評し、彼の死を惜しんだといいます。

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東湖が開学に向け尽力した日本最大級の藩校『弘道館』

斉昭が推進した藩制改革の一環で建てられた、水戸の藩校・弘道館。

日本最大級の藩校と言われ、建学の精神である『弘道館記』は、斉昭の命を受けた東湖が起草し、複数の学者の意見をまとめたものでした。

東湖がが蟄居ちっきょ中に書いた『弘道館記述義』は、『弘道館記』の内容を、より詳しく解説したものでした。

1840年建設を開始した弘道館は、翌年に仮開館します。

儒学や歴史のほかに、天分や数学などを学ぶことができたほか、千葉周作(ちばしゅうさく)らが武道の特別講師を務めたといわれています。

医学館なども開設されたが、東湖は1855年本開館を見ず、この世を去りました。

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