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【キングダム】成蟜(せいきょう)5分でわかる王族の血筋に執着する秦の王弟

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【キングダム】成蟜(せいきょう)兄への憎しみが癒えた矢先罠に嵌められた王弟・成蟜(せいきょう)

成蟜(せいきょう)が初めて登場したときは、兄の政に嫉妬心を燃やし、王座を政から奪還するために反乱を起こすなど、キングダムの映画、アニメ、漫画の序盤メインの話でした。

強烈にヒール役でしたが・・・

あきちゃん
あきちゃん

反乱を鎮圧され、復帰するも再び反乱の濡れ衣を着せられる

嬴政(えいせい)の異母弟である成蟜(せいきょう)は、自らが純血の王族であることに過度な誇りを持ち、そのため庶民の母から生まれた嬴政(えいせい)が王となったことに対し反感を抱き、この義兄のことを強く憎んでいました。

そういった感情が爆発した結果、力づくで王位を奪おうと反乱を起こしたのですが、嬴政(えいせい)により制圧されてしまいました。

反乱鎮圧後は城に幽閉されていた成蟜(せいきょう)ですが、その間

「打倒呂不韋に協力する その代わりこの城に閉閉されている成婚一派全員を自由にしろ」

という要求を政へ送り続けます。

相国に就任しさらなる勢力拡大を狙う呂不韋の独走を阻止するため、嬴政(えいせい)はその申し出を了承し、反乱から3年を経てキングダム成蟜(せいきょう)は復権を遂げるのです。

その後成蟜(せいきょう)は、嬴政(えいせい)との対話を通じ王としてその存在を認め、自身も人間的な成長を見せることで次第に勢力を拡大していきます。

そんな中成蟜(せいきょう)の妻・瑠衣の故郷である屯留(とんりゅう)が趙よって侵攻を受け、成蟜(せいきょう)自ら出征しわずか半日で趙軍を退却させたものの、呂不韋の意向を受けた蒲鶮(ほかく)によって拘束された上、反乱軍の首謀者に仕立て上げられてしまうのです。

どうにか幽閉先から脱出し、同様に拘束されていた瑠衣の元へ向かった成蟜(せいきょう)でしたが、その際の交戦で瀕死の傷を負ってしまいます。

そして命が尽きる直前、瑠衣に今後の身の振り方を伝え、さらに救出に来た

「貴様が奴の「剣」にして盾であることを忘れるな」

と兄である嬴政(えいせい)の中華統一実現への助力を託し、息を引き取るのです。

キングダムのでは最後は悲劇的に描かれた成蟜(せいきょう)ですが、とても魅力的な登場人物なのでもう少し詳しく史実を交えて解説します。

史実だけでなく作中でも「存在しない」王都での反乱

そんな成蟜(せいきょう)ですが、作中で描かれた王都での反乱については「史記」に記述がなく、逆に屯留における謀反は彼の主謀によるものと書かれています。

ただ最の戦いで山の民の援軍が来た際に

「成蟜(せいきょう)の反乱を表向きなかったことにしたのが功を奏した」

「事の顛末は王宮外に漏れ出ておらず 山の民の助力を李牧は知らなかった」

と記されていることから、

作中でもごく一部の人間以外は王都の反乱を知らないようです。

王弟の乱の史実の顛末とは?

『キングダム」の物語において最初に描かれる、信と嬴政(えいせい)が出会うきっかけとなった王弟成蟜(せいきょう)のクーデターは大変重要な場面を担っているエピソードです。

もちろん作られた物語ではありますが、この一件がなければ嬴政(えいせい)に似ている漂(ひょう)が宮廷に召し抱えられて嬴政(えいせい)の身代わりとなって死に、信が漂の遺言によって黒卑村(こくひむら)のほったて小屋で嬴政(えいせい)と出会い、タメ口でしゃべり合えるような関係になることもなかったわけです。

その後

「庶民の分際で権力の座にあるあの男の方がさらに我慢ならぬ」

などと、呂不韋(りょふい)に国をとられるぐらいなら嬴政(えいせい)に付くと宣言する成蟜(せいきょう)ですが、まだ嬴政(えいせい)に対し激しい憎しみをいだいていそうな腹の中はまったく見通せませんでした。

始皇帝の中華統一にゃなくてはならない人、だった

それでは、「史記」の中に残されている史実とされる成蟜(せいきょう)の反乱とはいったいどういったものでしょうか。

「史記」によれば、成蟜(せいきょう)は長安君(ちょうあんくん)に封じられており、紀元前239年に趙を討つという目的で軍を率いて出撃します。

しかし趙を討つというのはいつわりで、屯留に到着した成蟜(せいきょう)は蒲鶴兵と突如叛旗を翻します。

しかし秦王はすぐにも留に討伐軍を出撃させここで成蟜(せいきょう)は死に、軍史もみな斬られて死んだと記されています。

ただし『史記』の中に残された成蟜(せいきょう)の記述はあまりにも少なく、嬴政(えいせい)と成蟜(せいきょう)がどんな関係の兄弟だったのか、成蟜(せいきょう)はいつ長安君に封じられていたのか、などといったことがまったく分からないのが現状です。

『史記』の成蟜(せいきょう)の反乱に関しての記述の中にひとつだけ『キングダム』読者なら大変気になる言葉が見受けられます。

それが「將軍壁死」です。

もちろんすぐにお分かりになると思いますが、もしかしたら1巻から登場し、信の成長を兄のように温かく見守ってきたあの人が成蟜(せいきょう)の反乱で死んでしまうのかもしれませんでした。

『史記』によると、どうやらこの頃には嬴政(えいせい)も接近していたようなのですが、紀元前239年から238年には、他にも気になる言葉が数々見受けられます。

それが『キングダム」でも呂不韋によって後宮に送り込まれ皇后のお相手を務めている毐国(あいこく)に関する記述です。

毐国(あいこく)は紀元前238年に長信候に封ぜられ、山陽の地を与えられそこに住んだというのです。

しかも流通や経済を牛耳って私腹を肥やし、さらに河西の太原郡も手に入れて毒國と名乗ったというのです。

しかも紀元前238年には反乱を起こします。

王の印と太后の印の偽物を作って秦の軍隊を正式に攻めるのです。

ただし始皇帝はこの乱の鎮圧を昌平君、昌文君に命じ、咸陽(かんよう)を戦渦に巻き込むことになりながらも鎮圧させます。

敗走した毐国(あいこく)も賞金をかけられて諸国にその行方を追われ、捕まえられて車裂の刑に処せられてしまうのです。

さらにもうひとつ面白い説があります。1年を空けずに起こった成蟜(せいきょう)と毐国(あいこく)の反乱は、本来は連携して同時に起こすはずだったのではないかというのです。

たしかにどちらの反乱も、引き起こしている割りにあまりにもあっさりと鎮圧されてしまっています。

逆に、もしもこれが同時多発的に起こっていれば、王の印まで偽造されて国軍を偽の命令で動かされてしまっているわけですから、秦王はかなり厳しい状況に追い込まれたのではないかとも思わせます。

そう考えると『キングダム」でもこの物語は、皇后と呂不韋、そして成蟜(せいきょう)の思惑が入り乱れた非常に面白いエピソードになりそうな気がします。

また、もしかしたら『史記』よりもこちらの方が『キングダム」の物語に近いとも思わせるものに清の蔡元放によって改編された長編歴史小説『東周列国志』があります。

これは紀元前789年から秦の始皇帝が全国を統一する紀元前221年までに起こった東周時代約500年の諸国の興亡が描かれており、ここにも成蠣の反乱は記されています。

こちらでは、6万の軍勢を率いて趙に攻めた17歳の成嬌に反乱をそそのかしたのが樊於期という秦の将軍です。

ちなみに『東周列国志』の中で樊於期は、始皇帝と成蟜(せいきょう)は血が繋がっておらず成蟜(せいきょう)が嫡子であると言います。

ただしこちらの成蟜(せいきょう)の反乱は、呂不韋が元々愛人であった皇后に産ませた子を子楚の子であると偽り、秦王に据えて秦国を乗っ取ろうとしていることが許せないという目的で反乱したという内容です。

もちろん『東周列国志』でも成蟜(せいきょう)の運命は『史記』と同じですが、そそのかした樊於期は秦軍の囲いを破り燕に逃げ込みます。

この物語ではその後日談もあり、燕の太子荊軻が秦王暗殺を画策するにあたって、燕の食客となっていた樊於期を、嬴政(えいせい)を暗殺するためと説得し、その首を持って訪ねることで嬴政(えいせい)に近づいたという話があります。

もちろん暗殺は失敗しますが、秦王は反乱者であった樊於期の首を見て非常に喜んだと書かれています。

このように成蟜(せいきょう)の反乱とは、記された書物によってじつに様々な話がつづられています。

『キングダム」においても、成蟜(せいきょう)はもちろん、呂不韋、皇后、さらにいまのところは登場していませんが、「東周列国志」の中では秦軍の囲みをその武勇で単騎突破するといった豪傑であったと記されている樊於期の存在が今後どうなるか、楽しみであります。

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