【キングダム】鄴(ぎょう)攻略作戦蔡沢が残した置き土産と、李牧への宣戦布告
始皇10年。黒羊丘の戦いで手に入れた拠点にする作業が進められるさなか、咸陽へ思わぬ人物が来朝しました。
斉王・王建と趙宰相・李牧です。
それは照王の代から4代に渡って秦王に使えた老臣・蔡沢の、最期の大仕事でした。
加冠の儀での政の言葉に胸を打たれた彼は、東へ渡り斉と同盟の段取りをつけます。
その後、政の思想を王建に伝え、政に会うよう進言。
王建を秦へと連れ出します。
途中、趙を通過する条件として李牧の同行を受け入れ、政と王建、政と李牧の会合が実現したのです。
急遽設えられた会合でしたが、政は堂々たる弁舌で王建に統一後の中華の姿を説きました。
王も民も法のもとに平等となる「法治国家」。
王建は政が描く新しい中華の姿に感銘を受け、斉が今後秦の戦いに関与しないことを約束したのです。
一方、同行していた李牧は、政に中華統一を諦めるよう上奏し、「七国同盟」という形での決着を提案しますが、政はそれを一蹴。
武力をもって中華を統一すると宣言しました。趙に戻った李牧はすぐさま対秦の用意を始めます。
昌平君は李牧が黒羊丘に注目しているうちに、趙南方から鄴(ぎょう)
を攻めるという奇策を立案します。
成功率が極めて低い分の悪い賭けでしたが、天才・李牧を破るには他に手がなかったのです。
そして始皇1年。王翦(おうせん)を総大将とする、桓騎(かんき)軍、楊端和(ようたんわ)軍の連合軍が、趙へ進軍をはじめました。
【キングダム】鄴(ぎょう)攻略作戦趙の国門「列尾」のしかけが昌平君の策を瓦解させる…?
およそ20万の秦の軍勢が攻めてきた報は、黒羊丘の前に陣取る李牧のもとにもすぐに伝わりました。
舜水樹を偵察に送り、黒羊丘の前で秦軍の様子を探る李牧。
そして、彼は秦軍の真の狙いを知るのです。
黒羊丘が囮と知るやいなや、李牧は邯鄲(かんたん)に向けて馬を駆ります。
一方、王翦(おうせん)は趙南方の要所、太行山脈と黄河に挟まれた国門「列尾」に到着していました。
楊端和軍と飛信隊がこれをあっさり攻略し、王翦軍は攻略の重要な拠点を手に入れたのです。
しかし、列尾を拠点化する作業のなかで、王翦(おうせん)は列尾がわざと守りにくいように設計されてることに気付きました。
列尾を抜いて趙国内に侵入してきた敵軍を背後から攻められるように、列尾は奪われやすく、そして、奪いやすいように造られていたのです。
その瞬間、列尾を拠点に攻めを進めるという昌平君の作戦は、音を立てて崩れました。
しかし、王翦(おうせん)は撤退を選ばず、列尾を捨てて全軍で趙国内へ侵攻を始めたのです。
鄴(ぎょう)は列尾と違い、非常に強固な城でした。
【キングダム】鄴(ぎょう)攻略作戦両軍兵糧攻めで万事休す
攻略には相当の時間が必要とされますが、列尾を捨てたことで補給線が断たれた秦軍にはその余裕がありません。
当然、趙軍もそれを悟り、秦軍に兵糧攻めを敢行しようと動きます。
しかし、王翦(おうせん)は誰もが思いもよらぬ行動をとりました。
群の東に点々とある小城を次々と落とし、住民を城から追放したのです。
追放された人びとは鄴(ぎょう)に集い、秦軍がに到達したときには、鄴(ぎょう)內は難民で溢れかえっていました。
突如現れた難民に、食料を提供していましたが、膨大な人数を前に兵糧は底をつき始めます。
そう、王翦(おうせん)もまた難に兵糧攻めをしかけたのです。
そこへ軍勢を引き連れた李牧が出現、王翦(おうせん)は朱海平原で迎え撃ちます。
秦軍と、互いに残された兵糧が限られている今、両軍には時間的猶予がありません。
鄴(ぎょう)攻略の成否はこの合戦の勝敗に委ねられたのです。
そして、