学校では教えてくれない歴史の話 学校では教えてくれない!歴史の話(春秋戦国編)

2021年【キングダム】桓騎(かんき)将軍史実徹底解説!実は生え抜きの将軍?

更新日:

【キングダム】桓騎(かんき)とは?

蒙驁(もうごう)の副将で野盗上がりの型破りな将軍としてキングダムに登場する桓騎(かんき)。

合従軍が秦に侵攻し戦った函谷関の戦いで、韓の成恢(せいかい)を命がけで討った張唐(ちょうとう)の心意気を目のあたりし、

「秦国一の武将となれ桓騎(かんき)」

キングダム28巻

という死に際の言葉で、その内面に変化の兆しを感じさせました。

史記の『始皇本紀』に桓騎(かんき)が登場するのは、紀元前237年、毒国(あいこく)の反乱が鎮圧され、呂不韋がそれに連座して罷免された直後です。

そこに桓騎為将軍と将軍に取り立てられたことが書かれています。

ここには、斉と趙が酒宴に秦を訪問したと書かれていますから、桓騎(かんき)はその反乱の鎮圧に功があって、それによって将軍に任命されたと考えられます。

つまり政が実権を握ったのちに将軍となった、ある意味で始皇帝おきにいりの将軍でした。

【キングダム】桓騎(かんき)の功績

この後『始皇本紀』によれば、紀元前236年に王翦(おうせん)、陽端和(ようたんわ)と共に趙の鄴(ぎょう)を攻めて9つの城を取った戦いから始まり、一度兵を引いた王翦(おうせん)に変わって、桓騎(かんき)が兵を率いて鄴(ぎょう)に駐屯し、紀元前234年には、趙の平陽を攻めて10万人の長平を斬ったという華々しい武功を挙げています。

さらに桓騎(かんき)は翌紀元前233年にも再び趙に攻め込み、平陽と武城を平定しています。

趙は紀元前229年から翌年の紀元前228年にかけて王翦(おうせん)陽端和(ようたんわ)羌瘣(キョウカイ)らの将軍によって邯鄲(かんたん)が包囲され、趙王が捕らえられ趙が滅亡します。

【キングダム】桓騎(かんき)樊於期(はんおき)として亡命?

この一連の侵攻の中で李牧に負けた桓騎(かんき)が嬴政(えいせい)の処罰を恐れ逃げ、燕に亡命し樊於期(はんおき)と名乗ったという説もあります。

キングダムではすでに樊於期(はんおき)は登場しています。

桓騎(かんき)の能力から言えば、もちろん新六将に選ばれた人物ですから六将になった後、「六将初の亡命」という設定もありうるので、六将の繰り上げという場面が出てくるのではないかと予想されます。

桓騎の怒りは秦に向けらてたもの?

キングダム 桓騎軍まとめ!中華一の個性派集団のメンバー1人1人につて解説!

元は秦南方の野盗団の首領だったと作中で触れられている桓騎ですが、古参の桓騎軍として所属していた那貴でさえ

「お頭は謎の多い人だ」

と言い、桓騎の根っこにあるものは

「岩をも溶かす程の怒りだ」

と評されます。

史実と『キングダム』において桓騎の歴史で一点異なるのは「首斬り桓騎」と呼ばれた時期が異なります。

『キングダム』では野盗時代に城邑を攻め落とした際、住人全員の首を自らはねたことから「首斬り桓騎」の異名で呼ばれるようになったと言われています。

この「城邑」を調べたのですが、はっきりした地名としてはわからず、「城邑」=「城壁にかこまれた町」という意味らしいのです。

特定の地名を作者が避けたのでしょうか?

その意図は果たしてなんなのでしょう?

史実の桓騎は鄴攻めの2年後、始皇帝13年の趙攻めで敵将を殺害し、10万の兵の首を斬ることから「首斬り桓騎」と呼ばれるようになったと言われています。

ここから桓騎の怒りを考察することはできるでしょうか?

桓騎のルーツは長平の戦いにあり?

【キングダム 漫画考察】白起の欠点!長平の戦い 捕虜40万人を生き埋めた話から考える

趙と言えば「長平の大虐殺」が思い当たります。紀元前260年に秦と趙が長平(現山西省高平市の近く)で激突した戦いで、その時の秦の将軍は白起です。

少し白起に触れますと、白起が『史記』の「白起王列伝」に登場するのは、紀元前294年から。

この年に左庶長となった白起は初めて兵を率いて韓の新城を攻め、この活躍ぶりに注目した秦の宰相・魏冉は、白起を翌年左更に任じ、韓・魏を攻めさせました。

この戦いで白起は4万もの首級を挙げたとされています。

そしてこの戦い以降、白起は各地を転戦して勝ち続け、生涯で70以上もの城を落としています。

そんな「常勝将軍」ともいえる白起が参加した戦いの中で、最大とも言えるものが「長平の戦い」でした。

この戦いのそもそもの発端は、韓の領土である上党をめぐる戦いでした。

紀元前265年、白起が韓の野王城を攻め落としたことによって上党は韓から孤立してしまい、上党の太守・馬亭は領民と相談した結果、上党を趙に献上することにしたのです。

趙はこの申し出を受けて上党を得ましたが、この道の行動に激怒した秦の昭王は、紀元前262年、王齕(おうこつを遣って上党を攻め落とします。

その際に上党の民衆は趙の長平へと逃げ込み、それを追った王齕(おうこつ) と、趙が長平の守りのために送った廉頗(れんぱ)がそこで対峙することになったのです。

廉頗は初め城外で戦いましたがおうこつに敗れたため、籠城して相手の疲弊を待つことにし、戦線は膠着しました。この事態を打開すべく、秦の宰相は策を弄し、趙の総大将を歴戦の廉頗から経験の浅い趙括に変えさせろと、さらにおうこつに代えて白起を送り込んで総大将とし、長平を攻めさせました。

自起は退却すると見せかけて趙軍を誘い出し、飛び出してきた趙軍を伏兵を使って分断、大打撃を与えました。

また、場内へと逃げ帰った趙兵を追撃し、長平を包囲して敵の補給を断ったのです。

これによって長平に立て篭もった趙軍は46日間も兵糧が届かず、遂には白起に降伏したのです。

いくら相手が経験が浅い将だったとはいえ、ここまで鮮やかな勝利を得るのは並みの将軍では不可能ですので、いかに彼が将軍として優れていたかがこの一戦からもわかるでしょう。

なお、この長平の戦いで白起は、10万を超える将兵を捕虜にしました。

しかし彼は、長期戦により物資が不足し、この大量の捕虜を秦に連れ帰ることが不可能と判断し、なんとこの捕虜たちを生き埋めにしたのです。

これが、作品中で万極をはじめ趙の人々が言っていた「長平の大虐殺」にあたります。

作中の時間は紀元前236年 (始皇帝1年) ですので、「長平の戦い」が起きたのは約1年前になります。

桓騎の外見からすると年齢は30代後半から九代にさしかかったばかりのように見えますから、少年時代の桓騎がなにかしら「長平の戦い」に関わっていたと考えることはできないでしょうか?

桓騎と李牧は裏で結託する?

桓騎軍の戦いは軍略というより心理戦に近く「敵が嫌がることをする」「奇策を用いて勝利する」ことをモットーとしている異質な軍です。

これは桓騎の性質がそのまま反映されていると言っていいでしょう。

仮説として「長平の戦い」が桓騎に直結しているのならば、怒りの矛先はストレートに「秦国」に向かうべきでしょう。

しかし桓騎は秦軍には欠かせない将軍として、秦の中華統一の目的にその知略を使っているのが現在です。

桓騎は虎視眈々と、「秦国の崩壊」を狙っているのではないでしょうか?

ここからはかなり大胆な考察となります。

現在物語は「趙攻め」が行われています。

これは紀元前236年(始皇11年)の出来事です。

この3年後、紀元前233年(始皇帝4年)、桓騎が総大将として再び趙攻めが行われ、桓騎は平陽と武城を平定します。

つまり、もう3年は桓騎は順調に戦歴を重ね、秦国からの信頼が厚い将軍として振舞うのです。

しかし、この趙攻めでの宜安戦で、桓騎は趙の大将軍・李牧(りぼく)に破れます。

一説には討たれたと、『史記』では逃亡したとされています。

逃亡理由は敗戦の処罰を恐れてとされていますが、一回の敗戦で処罰されてしまうほど「秦の法」は厳罰だったのでしょうか?

この逃亡の理由は

「李牧に俺の怒りの根っこを知られた」

などの理由ではないでしょうか?

その実、秦の崩壊を願い、何年がかりで誰にも気づかれず、部下にも悟られず策を練っていた桓騎。

それが李牧との直接対決の際に李牧の知られるところとなったため、秦から逃げることとなったとは想像できないでしょうか?

また、もうひとつの仮説は、この際に桓騎(かんき)と李牧が繋がり、李牧の策として敗戦を工作し、姿をくらませたということは考えられないでしょうか?

桓騎がどのような策で

「秦にとってもっとも嫌な奇策」

をとろうとしたかは不明です。

しかし李牧との当初プランがダメになったとしても、桓騎の怒りの火が消えることはないでしょう。

暗殺失敗自体も桓騎の奇策か?

どちらにしろ、歴史の表舞台から姿を消した桓騎は、遠回しな策ではなく、直接的な「打倒秦」に向けて行動することでしょう。

ここで触れなければならないのが樊於期と荊軻です。中国の歴史家・楊寛は桓騎と樊於期の同一人物説を唱えている人です。

著書『戦国史』で敗戦の処罰を恐れた桓騎は燕に亡命し、樊於期と名を改めたという説です。

しかし『キングダム』では樊於期は別人物としてすでに登場しています。

樊於期という人物は『史記』において嫪毐の乱以後の消息に触れられていません。

そして荊軻とは始皇帝の命を狙った史実に残る最強の暗殺者です。

このふたりの人物に、桓騎は大きく関わっていくのではないでしょうか?

キングダムに関するおすすめ動画

-学校では教えてくれない歴史の話, 学校では教えてくれない!歴史の話(春秋戦国編)
-, ,

Copyright© あきちゃんの歴史LABO , 2021 All Rights Reserved.