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2020年【キングダム】桓騎(かんき)将軍史実徹底解説!実は生え抜きの将軍だった?

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【キングダム】桓騎(かんき)とは?

蒙驁(もうごう)の副将で野盗上がりの型破りな将軍としてキングダムに登場する桓騎(かんき)。

合従軍が秦に侵攻し戦った函谷関の戦いで、韓の成恢(せいかい)を命がけで討った張唐(ちょうとう)の心意気を目のあたりし、

「秦国一の武将となれ桓騎(かんき)」

キングダム28巻

という死に際の言葉で、その内面に変化の兆しを感じさせました。

史記の『始皇本紀』に桓騎(かんき)が登場するのは、紀元前237年、毒国(あいこく)の反乱が鎮圧され、呂不韋がそれに連座して罷免された直後です。

そこに桓騎為将軍と将軍に取り立てられたことが書かれています。

ここには、斉と趙が酒宴に秦を訪問したと書かれていますから、桓騎(かんき)はその反乱の鎮圧に功があって、それによって将軍に任命されたと考えられます。

つまり政が実権を握ったのちに将軍となった、ある意味で始皇帝おきにいりの将軍でした。

【キングダム】桓騎(かんき)の功績

この後『始皇本紀』によれば、紀元前236年に王翦(おうせん)、陽端和(ようたんわ)と共に趙の鄴(ぎょう)を攻めて9つの城を取った戦いから始まり、一度兵を引いた王翦(おうせん)に変わって、桓騎(かんき)が兵を率いて鄴(ぎょう)に駐屯し、紀元前234年には、趙の平陽を攻めて10万人の長平を斬ったという華々しい武功を挙げています。

さらに桓騎(かんき)は翌紀元前233年にも再び趙に攻め込み、平陽と武城を平定しています。

趙は紀元前229年から翌年の紀元前228年にかけて王翦(おうせん)陽端和(ようたんわ)羌瘣(キョウカイ)らの将軍によって邯鄲(かんたん)が包囲され、趙王が捕らえられ趙が滅亡します。

【キングダム】桓騎(かんき)樊於期(はんおき)として亡命?

この一連の侵攻の中で李牧に負けた桓騎(かんき)が嬴政(えいせい)の処罰を恐れ逃げ、燕に亡命し樊於期(はんおき)と名乗ったという説もあります。

キングダムではすでに樊於期(はんおき)は登場しています。

桓騎(かんき)の能力から言えば、もちろん新六将に選ばれた人物ですから六将になった後、「六将初の亡命」という設定もありうるので、六将の繰り上げという場面が出てくるのではないかと予想されます。

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