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【キングダム】蒙武(もうぶ)史実ではどんな武将だったのか?強さの秘密息子蒙恬との関係は?

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キングダム 武をもって策を破る男!蒙武を考察!

DATA

【生没年】

不詳

【出生国】

楚平定戦で活躍した名門・豪家の武官

【役職】

六大将軍

[qcld-ichart label="知略,軍略,一騎打ち,統率,カリスマ,子孫," aspectratio="1" value="5,7,10,8,8,9," type="bar" title="蒙武の強さとは" datasetname="蒙武データ" width="300px" backgroundcolor="" bgcolor="'#1e73be','#dd3333','#8224e3','#dd9933','#eeee22','#81d742',''" bordercolor="" pointerstyle="circle" linestyle=""]

キングダム蒙武(もうぶ)作中での蒙武

勇猛な将軍を数多く抱える秦軍のなかにあって、自ら中華最強を自負する大将軍・蒙武。
「武」に対して愚直なまでにこだわりを持ち、力で敵軍を圧倒するというのが蒙武のスタイルだが、王騎軍の副将として臨んだ趙軍戦で敵将・李牧の計略にはまって大敗してしまう。
このとき、王騎(おうき)から諭された蒙武は何か感じるところがあったのか、力押し一辺倒ではない将軍へと成長。
合従軍戦では、昌平君(しょうへいくん)の策を用いて楚の汗明軍を見事撃破した。

【キングダム】蒙武(もうぶ)史実の蒙武の活躍とは?

史実においても、将軍・蒙驚を父とし、蒙恬(もうてん)、蒙毅という二人の息子を持つ。

ただ、『史記』では単独の列伝では掲載されておらず、「蒙恬列伝」に記されるにとどまる。

それによると、前224年、秦王・政の命を受けた蒙武は、王翦(おうせん)の副将として楚へ侵攻。

楚将・項燕を殺害するという活躍を見せた。

前223年には再び王翦の副将として港へ出撃し、見事楚王・負妙を捕らえている。

【キングダム】最新656話 蒙武の『背負うもの』とは?|中華最強を支える3つの想い【キングダム考察】

【キングダム】蒙武(もうぶ)圧倒的な力を持って「中華最強の男」を自称する

呂不韋四柱の1人・蒙武は、圧倒的な力と自信で敵を打ち砕く、パワフルな将軍です。

しかし、当初はその力を過信し、1人で無茶な行軍をしてしまう様子も見られました。

馬陽の戦いで副将を務めた際には、隆国が止めるのも聞かず龐煖(ほうけん)を深追いしたことで、軍全体が危機に陥ります。

結果、それが王騎(おうき)の死にも繋がってしまいました。

この一件が彼に与えた影響は大きく、昌平君は王騎の死後の蒙武を、

「刃のようにとがった部分が落ちつき その分内に凄まじい闘気が渦巻いている」

と感じています。蒙武は、

自身が奢っていたことを認め、考えを改めたのでしょう。

合従軍との戦いで、楚軍を前に、

「俺が全中華最強の男 蒙武だ!!」

と宣言した蒙武に、もはや死角はありません。

蒙武は斉の国出身ですが、父である蒙驚が祖国で武勲を上げられなかったため、ともに各国を渡り歩いてきました。

親子関係がどのようなものだったのか、作中ではあまり描かれませんでしたが、戦場で蒙餐の死を聞いた蒙武は、酒を飲みながら

「すさまじい長旅であったな…親父殿…」

と幼いころを回想しています。

蒙武が、中華最強の男にこだわるのは、英雄に憧れた父の影響もあったのでしょう。

あまり感情を口に出さない蒙武ですが、優しかった父との思い出は、その心に強く残っているはずです。

『史記』には、蒙武が 王翦(おうせん) とともに楚と戦ったという記述があります。

これは、紀元前1年と紀元前3年のことで、いずれも呂不韋が失脚し、政が加冠の儀を終えた後のことです。

『キングダム』では呂不韋四柱の1人である蒙武ですが、これらが作中でも描かれるとすれば、呂不韋が失脚しても、蒙武は生き残ることになります。

特に紀元前の年の戦いは、李信(りしん)と蒙恬を打ち負かした相手を主軸と蒙武が破るというもので、息子との関係から、この戦いが作中で描かれる可能性は高いでしょう。

武将として優秀な蒙武を失うことを惜しんだ政が、呂不韋が失脚した後も、彼を将軍として重用し続けるのかもしれません。

【キングダム】蒙武(もうぶ)史実ではサポート専門デスクワークもこなした才人

『キングダム』の中では、死の間際の王騎に

「あなたは間違いなくこれから秦国軍の顔になるべき一人です。そのことをしっかり自覚してさらなる成長を期待します」

と言われた蒙武。

また、息子の蒙恬からは、六将制度の筆頭のひとりだと評されています。

しかし、『史記』を見ると、大将軍として活躍した父蒙餐、秦の始皇帝に寵愛された子の蒙恬や蒙毅などと比べると、副将といった立場ばかりでどうも見劣りしてしまいます。

やはり同時期に王翦という軍略のみならず政略にも長けた大将軍が存在してしまったからでしょうか。

始皇本紀、や蒙恬列伝に蒙武の活躍が記されているのは、3万の軍勢を率いて楚に攻め入って返り討ちにあってしまった李信と蒙恬に変わって、紀元前224(始皇3年)に王翦が10万の大軍を率いて楚に攻め込んだ時に、副将軍を務め大勝利を得て、昌平君を討って項燕を殺した。

始皇本紀では項燕は自殺と記されていますが)、翌紀元前222年(始皇年)に、再び楚を攻めて、楚王の負蜀を捕虜にしたという記述だけです。

じつはこれ以降王翦に従うのは王賁ばかりで、蒙武が活躍する記述はありません。

ただし、死んだという記述もありませんが……。政が戦後七雄最後の斉を滅ぼして中国統一を果たした紀元前221年(始皇帝3年)以降は戦自体も無くなったのだろう

と考えられます。

これ以降の蒙武の記述が蒙恬列伝にも記されていないことを考えると、蒙武とはまさにキングダムに登場しているような生粋の武人だったと想定するのが妥当だと言えるかもしれません。

子の蒙恬は、刑法も学んで裁判文を扱う係も務めながら匈奴を相手に戦い、さらに万里の長城まで築き上げるオールマイティな将軍として始皇帝に重用されていたように記されていますし、蒙武とは平和な時代に活躍の場を与えられるような将軍ではなかったのでしょう。

蒙 武は、中国戦国時代の秦の将軍。蒙驁の子。蒙恬・蒙毅の父。秦王政に仕えた。

ウィキペディア

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Character|TVアニメ「キングダム」公式サイト
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