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キングダム王賁(おうほん)最新完全版史実では英雄的活躍六将入り確実?

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皆さんはキングダムに出てくる登場人物の中で誰がお好きですか?

やはりや王賁(おうほん)、蒙恬(もうてん)の三人のライバルでありながら、ともに出世し、ときに協力し良い仲間でもある三人の登場人物はとても魅力的です。

今回はそんな三人の王賁(おうほん)について詳しくお話させていただきたいと思います。

キングダムの中に描かれていない内容を史実に基づきお話させていただきます。

是非最後までご覧ください。

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王賁(おうほん)はキングダムでは秦北軍の所属して魏国境の前線で活躍し、名をあげていた秦の前に、秦南軍に所属する特殊三百人隊の玉鳳隊の三百人将として登場します。

その後、蒙恬(もうてん)と切磋琢磨して競い合い武功を重ね、現時点では秦と並び将軍になりました。まさに結果を出し秦の次世代を担う存在になりました。

ちなみに、魏との戦いで魏火龍のひとりだった紫伯(しはく)討った王賁(おうほん)は、騰(とう)大将軍と隆国(りゅうこく)将軍の発言では、

「将軍のすぐ一つ下の五千人将の目を通してこそ将軍の存在がいかなるものか見えてくる」

マンガ キングダム38巻

「だから王賁がそこを飛ばすことを騰将軍は良しとせず将軍昇格を否(いな)としたのだ」

マンガ キングダム38巻

と言っているように、実績、実力ともに五千人将に時点で将軍の実力を兼ね備えている武将に成長しました。

登場の時点ではちょっと性格に難があり王家名門出身のことを鼻につけるちょっとやなやつでしたが、どんどん信も認めるかっこいい扱いになってきました。

 

キングダムの中で名門とされた王一族とは

王家の系譜は明確にはなっていないのですが、その名が示すように王家の末裔とされ、一説によると起源は神話伝説上は紀元前2500年ごろから2400年頃に中国を統治した、五帝の最初の帝である黄帝、あるいは紀元前1046から紀元前256年に栄えた周王朝につながるような家系であるといわれています。

そのことからもキングダムでは王賁(おうほん)自身が

「お前が大好きな王騎一族の分家の王騎とは違い王一族の総本家を継ぐ王賁(おうほん)だ!」

マンガ キングダム17巻

と名乗り、

また蒙恬(もうてん)も王賁(おうほん)の父王翦(おうせん)のことを

「あの王騎将軍を輩出した名門王家一族の現当主だ」

と語っていました。

さらに対魏初戦の高狼城(こうろうじょう)攻めで蒙恬(もうてん)に「さすが王氏宗家また珍しいものを」と言わせるような、井闌車(せいらんしゃ)と呼ばれる城攻め用の大型の兵器を所持している家柄であるように描かれています。

「史記」の「白起王翦(おうせん)列伝」によれば、王賁(おうほん)の父王翦(おうせん)は、若いころから兵法を好み、秦の始皇帝に仕えたとされています。

秦の宿将として戦国七雄との戦いで六国をことごとく攻め落とし、司馬遷(しばせん)の言葉を借りると「始皇帝は彼を師とした」とまで記されています。

つまり王一族は、始皇帝にとって特別な存在だったと考えられます。

(まぁ王賁(おうほん)にしても王翦(おうせん)にしても彼らの実績からすると特別な存在なのはあきらかですよね。)

そんな父王翦(おうせん)もとともに始皇帝の覇業に貢献する活躍をした王賁(おうほん)も、始皇帝にとっても特別な存在だったのは明らかです。

事実王賁(おうほん)は「始皇帝本紀」では、実に数多くの記述がされており、将軍の中でもトップクラスの登場回数です。

紀元前226年(始帝21年)に楚(そ)にせめたとして登場すると、紀元前225年(始帝22年)には、魏を攻めて大梁城(だいりょうじょう)を水攻めにして崩壊させ、魏王を降参させて魏の領土を取るといった大きな功も立てます。

紀元前222年(始帝25年)には、王賁(おうほん)を将軍として大軍団が組織され燕(えん)の遼東を攻めて燕王喜(えんおうき)を捕縛し、引き返して代を攻め、代王嘉(だいおうか)をおとりにしたと記されています。

ちなみに「白起王翦(おうせん)列伝」によれば、これには、李信将軍も加わったと記されてもいます。

さらに「始皇帝本紀」によれば王賁(おうほん)は、紀元前221年(始帝26年)に燕(えん)から南下して斉(せい)を攻め、斉軍を破って斉王建(せいおうけん)を虜にしています。

そしてこれによって秦は他の六国を滅ぼし、天下統一を成し遂げたのです。

キングダムでの王賁(おうほん)の今後はどうなる?

王賁(おうほん)

本人曰く、

「我々玉鳳隊は貴士族のの中でも幼少期より軍事教育を施された英才集団だ」

マンガ キングダム17巻

というエリート部隊を率いて登場した王賁(おうほん)は、下僕出身である信とは生い立ちも性格も対象的です。

キングダムに中で主人公のライバルとして登場する典型的なキャラクターともいえます。

史実に記される始皇帝の天下統一への貢献度の大きさをみれば、ある意味で王賁(おうほん)という存在があることで、という下僕出身の大将軍になることを夢見る李信というキャラクターが出来あがったといっても過言ではありません。

キングダムの王賁(おうほん)は、紀元前242年(始帝5年)に廉頗(れんぱ)率いる魏軍との戦いの前線で信の目の前で蒙恬(もうてん)とともに千人将に任命され、紀元前241年(始帝6年)の合従軍の侵攻では、騰(とう)軍の所属の二千人将として登場し、急場ではあるが蒙恬(もうてん)とともに五千人将を任され、さらに魏戦での論功行賞で正式に五千人将に任命されます。

最新刊では主人公信と肩を並べるように将軍にまでなっています。

また史記の「秦始皇本紀」「白起王翦(おうせん)列伝」によれば、父王翦(おうせん)がキングダムの中で描かれている通り自らが王様を狙うような謎多き将軍ではありませんでした。

名門王一族の末裔で秦の英雄的将軍だった王翦(おうせん)の子王賁(おうほん)は、李信以上に始皇帝に重宝されていたと記されています。

つまりキングダムも元となっている史記の記述を描くとある意味主人公の信より主人公に相応しい活躍をしてしまうのでこれからキングダムでどのように描かれていくのかとても楽しみです。

史実の年表をみると、今後10年は王賁(おうほん)と李信の地位と武功の競い合いは続くと思われるのでそこも楽しみのひとつです。

キングダムの王賁(おうほん)の末裔とは

実は史記によれば王一族は三代にわたって秦国に仕え貢献しました。

つまり王翦(おうせん)、王賁(おうほん)の子王離(おうり)も秦国「三代将軍」とも呼ばれて活躍します。「李斯(りし)列伝」によればキングダムの蒙恬(もうてん)、王賁(おうほん)の関係をそのままに、始皇帝の長子である扶蘇(ふそ)に従って匈奴との国境に十年余り駐屯していた蒙恬(もうてん)の軍に王離(おうり)が副将として仕えていたと書かれています。

ただ残念ながら史記には秦始皇帝がこの世を去って二世皇帝胡亥(こがい)が即位した紀元前209年には、王賁(おうほん)はすでに死去していたと書かれています。

キングダムがもし、秦始皇帝が死去するまで描くのだとすれば、もしかすると王賁(おうほん)の死を描く場面が登場するかもしれません。

王賁(おうほん)の子である王離(おうり)も

「秦の名将で、強大な秦の軍を率いて陳勝が反乱を起こして建国した趙を攻め落とすだろう」

といわれる人物とされています。

ただし、楚漢戦争のとき、陳勝とそれに従った張耳の城を包囲して行われた戦いで、一年余りにわたった籠城戦によって兵糧が不足したところを攻められて捕虜になっています。

しかもその後史記にその事績が書かれていません。

もしかするとこの後命を落としたのかもしれません。

ただし、別の史書には、王元・王威という二人の子供がいたとされておりそれぞれ別の王氏の祖となったと伝えられています。

王賁(おうほん)の血筋、名門王家の血筋は秦滅亡後もしっかり受けつがれました。

王賁(おうほん)は六将になれる?史実から探る王責の六将入り

【キングダム】王賁の史実の活躍は大将軍級!●カ国を滅ぼす大活躍!【キングダム考察】

信と同世代のライバルの一人で、同じく六大将軍となることを目指している王賁。

果たして彼は、無事に六大将軍入りできるのかどうか、さまざまな角度から考察していって見ましょう。

まずは史実の王賁をもとに考察してみます。

司馬遷の『史記』によれば、王賁は紀元前226(始皇21)年に父・王翦(おうせん)とともに燕に侵攻し、首都・薊を攻めてこれを陥落させています。

その翌年には、魏を攻めてこれを滅ぼし、またその三年後には、取り逃がした燕王・喜が遼東で軍を起こしたのでこれを討伐、その後、代にて趙王の一族を討ったとされ、さらに紀元前221(始皇3)年には、李信蒙恬らとともに斉の都・臨淄を包囲して、斉を降伏させています。

史実での王賁は、このようにわずか5年あまりのうちに、燕、魏、斉の3つもの国を滅ぼしています。

これだけ活躍しているのですから、おそらく『キングダム』中でも、中華統一戦において、相当の見せ場が用意されていることは確実です。

また、『キングダム』が中華統一後まで描かれるかは現時点ではわかりませんが、史実では、秦が中華統一を果たした後、王賁はそれまでの功績によって通武候に封じられたとあります。

これほどまで優遇されていたのですから、史実から見る限りでは、六大将軍の一席に名を連ねるのは、ほぼ間違いないのではないでしょうか・・・

マンガキングダム中の王賁(おうほん)活躍から推察する六将入り

さて今度は『キングダム』中の王賁像から考察してみましょう。

王賁は、いわずと知れた信、蒙恬とのライバル的関係にありますが、武力は、37巻の著雍戦において見せた、魏火龍・紫伯との対決で、中華一ともいわれる槍の使い手・紫伯を死闘の末に破っており、信に勝るとも劣らない力を発揮しています。

信も、強敵たちとの戦いで大きく成長していますが、王賁もまた、成長を続けているのです。

そして王賁は、武力一辺倒の信とは異なり、確かな戦略眼も持っています。

それは、同じ著雍戦において、開戦前、騰(とう)が拡陽にいる王翦に援軍を頼もうとした際、王賁は

王賁(おうほん)
王賁(おうほん)

「今 王翦が守っている拡陽は 、趙が秦東部攻略の楔(くさび)を打ち込もうと 密かに狙っている要所だ」(3巻P167)

と騰に意見し、王翦(おうせん)に援軍を要請することを断念させています。

この台詞から、王賁が目の前の戦場だけでなく、より広く大きな戦略的な視野で戦場全体を見ていることがわかります。

広い戦略眼をもっているといえば、ライバル関係にある蒙恬を想像させますが、王賁も、それに匹敵する戦略眼をもっていることがこのことからもわかるのです。

また、六大将軍への思いも、信や蒙恬に決して劣るものではありません。

普段は寡黙(かもく)で、冗談も言わない王賁ですが、信が政から六大将軍を復活させるという話を聞き、それを蒙恬、王賁に伝えて、六大将軍入りが確実視される4人(蒙武(もうぶ)、騰、王翦(おうせん)桓騎(かんき))を除いた2席に、信、蒙恬、王賁のうち誰が入るか、という話になったときに、王賁は

王翦(おうせん)
王翦(おうせん)

「ふつうに俺と蒙恬だろう」

と、冗談とも本気ともとれる発言をしていますし、著雍攻めで紫伯と対峙したときには、

「中華に名を刻む大将軍には決して届かぬ」

と、ハッキリ言っているなど、彼の台詞のところどころから、そ六大将軍入りに情熱を燃やす彼の気持ちがわかるでしょう。

結局王賁は六将入りできるのか?

このように、史実の面から見ても、キングダム中の描かれ方を見ても、王賁が六大将軍に任命されるのは、まず疑いないと思われます。

史実上では、王翦(おうせん)に次ぐほどの戦功を挙げていますし、作品中でも、能力は信、蒙恬に劣ることなく、また、著雍戦の論功行賞で、信と王賁が五千人将に昇格したときに、隆国(りゅうこく)が信に対して

「だから王賁がそこ(五千人将)を飛ばすことを騰大将軍はよしとせず将軍昇格を否としたのだ」

といっているように、本来ならば、信や蒙恬を抜かして将軍となっていてもおかしくはない武勲を立てていますので、能力的にも勲功的にもなんら問題はなく、あと一つまたは二つほどの大きな手柄を挙げれば、間違いなく六大将軍となることでしょう。

これからの展開しだいですが、趙侵攻の際に活躍する場に恵まれれば、ひょっとすると、主人公の信よりも早く六大将軍の一席を与えられるようになるかもしれません。

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六将入りは魏攻めの前後?

王賁が六大将軍の一人となるのはほぼ確定と思われますが、では、彼が六大将軍となる時期はいつごろになるのでしょうか。

現在、彼の位は大将軍の二つ下、五千人将です。

趙侵攻以降、史実での活躍を参考にすると、

王賁の行動は燕侵攻→魏侵攻→燕王・喜討伐→趙王の一族を討伐→斉侵攻という流れになります。

このうち、最初の燕侵攻は父・王翦とともに出陣しているので、この時点で六大将軍となっているというのは少し考えにくいことです。

ですが、次の魏侵攻では、王賁単独で出陣し、水攻めを用いて魏を滅ぼしています。

単独で出陣したということ、それに加えて自分で水攻めという策を弄する自由、つまり戦場における決定権があったことを考えると、この時点で、ある程度の地位についていることが予想され、そのある程度の地位とは、おそらく将軍以上の位ではないかと考えられます。

史実をもとにその出世を予測するのであれば、趙への侵攻時には敵将を討つなどの武勲を挙げ、

戦後に現在の「五千人将」から「将軍」へと昇進し、続く燕侵攻でも戦功を挙げて「大将軍」へと上り詰める、

といったところでしょうか。

もしくは、趙攻めでは特に武勲を立てられないまま終わり、燕攻めの後に「将軍」へ、そして魏攻めでの魏を滅ぼした功績によって「大将軍」となるのかもしれません。

いずれにせよ、先述したとおり、王賁が六大将軍となるのは、ほぼ間違いないでしょう。

ただ、その過程や、彼が成長するために出会う強敵に関しては、史実から読み解くことはできないので、今後の展開を見守るしかありませんが、王賁なら、どんなに苦戦しようとも、いかなる強敵も討ち倒してくれることでしょう。

なお、史実では、王賁は中華統一後に秦に吹き荒れた趙高の粛清の嵐を無事潜り抜け、子孫を残しています。

『キングダム』が中華統一後,も描かれるかどうかわかりませんが、もし描かれるとしたら、粛清を生き残った王賁は、かなり大事な役割を担ってくるにちがいありません。

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