キングダムには面白いキャラクターがたくさんいます。
キングダムという漫画・アニメを彩る登場人物を今回はまとめたいと思います。
これを読んでいただければ、これからのキングダムがますます面白くなること間違いなしです。
よろしければこちらもご覧ください。
是非最後までご覧ください。
【キングダム】呂不韋(りょふい)
長年秦の実権を支配した相国(しょうこく)
加冠の儀で政打倒のクーデターを目論むも失敗し失脚
一介の商人から秦国最大の勢力を築き上げ、臣下の最高位である相国にまでのしあがった呂不韋(りょふい)という人物。
四柱と呼ばれる直属の臣下がおり、昌平君(しょうへいくん)・李斯(りし)・蔡沢(サイタク)・蒙武(もうぶ)をはじめ、各分野で優秀な人材を配下に加え、政という王がありながら秦の政権の実権を掌握していました。
そんな呂不韋が名実ともに「天下」を握ろうとしたのが、政の加冠の儀でした。
自らが太后のもとに送り込んだ男娼・嫪毐(ろうあい)を主として太原に建国された「毒国(あいこく)」の面々を陽動し、加冠の儀当日に王都・咸陽へと攻め込ませました。
さらに毒国(あいこく)の中に潜む「息のかかった者達」によって王族を根絶やしにしたうえで、非道な反乱軍を自ら討つことで
「余すことなく秦のすべてを手に入れる」
キングダム第132話
と描いていました。
しかしその計画は政に察知されていました。
援軍に向かった飛信隊(ひしんたい)の奮闘と、暗号文で信たちたちに反乱を知らせた昌平君が呂不韋から離反し政陣営へ参戦したこともあり、毒国(あいこく)の反乱は鎮圧されました。
その知らせが、加冠の儀の後に「天下」について語らっていた政と呂不韋のもとに届けられ、秦の実権を巡る長年の争いに終止符が打たれました。
史実でもキングダム同様実権を政に奪われる
史実においても、秦の丞相(じょうしょう)として呂不韋(りょふい)は大きな権力を持っていました。
そして失脚の理由も、元愛人である太后にあてがった嫪毐(ろうあい)が秦の始皇帝に対して反乱をおこしたが鎮圧され、これを好機と見た始皇帝の追及によって権力を奪われたと書かれています。
またキングダムの第437話では、呂不韋(りょふい)が政のことを
「さすが私の息子である」
と言いながらも
直前に否定しています。
現在の物語では今後どうなるかは分かりませんが、真相は闇の中に消えてしまうかもしれません。
史記では親子という記述もありますが、当時の人々の中で広く噂されていたようです。
詳しくは
をご覧ください。
【キングダム】昌平君(しょうへいくん)
中華統一の実現のためかつての主呂不韋に反旗を翻す
わたくしが大好きなキャラクター昌平君(しょうへいくん)を紹介します。
秦国の最高司令官であり、呂不韋(りょふい)の相国(しょうこく)昇格に伴って右丞相となったのが昌平君(しょうへいくん)です。
幼なじみである蒙武(もうぶ)とともに、四柱として呂不韋(りょふい)を支える立場だったが、彼の取った行動によって結果的に呂不韋(りょふい)は失脚に追い込まれました。
それまでも昌平君(しょうへいくん)の言動は、秦全体の利を重視したもので、特に対合従軍戦以後は政が蕞(さい)へ出陣する前に2人きりで会談して助言を行うなど、呂不韋にとっては意にそぐわない言動が目立っていました。
そして加冠の儀が行われている最中、昌平君(しょうへいくん)は毒国(あいこく)の反乱を利用して実権を奪おうとする呂不韋の狙いに気づき、政陣営に伝え、さらには自らも反乱の鎮圧に向かいました。
ともに出陣した昌文君(しょうぶんくん)が抱いていた実戦経験の少なさへの不安を感じさせることなく昌平君(しょうへいくん)は縦横無尽に戦場を駆け回りました。
それもそのはずで、副官である介億(かいおく)が
「我が主は幼少期、あの蒙武(もうぶ)より強かったのだぞ」
キングダム430話
と誇るほどの武力を、彼は備えていました。
さらには弟子である蒙毅(もうき)や河了貂(かりょうてん)と協力して行った策
「包雷」
で兵の少なさを補い、見事に反乱軍を打ち破りました。
その戦いによって政は秦国の全権を掌握することができ、昌平君(しょうへいくん)自身も夢に描く
「中華を統る」
キングダム第433話
のための大きな一歩を踏み出したのです。
【キングダム】李斯(りし)
自ら登用した呂不韋(りょふい)に最後まで忠誠をつくした、法の番人
呂不韋(りょふい)を支える「四柱」のひとりで、確実さを重視するまじめな性格から
「法の番人」
という異名を持っています。
それゆえに商人の視点から物事を見る呂不韋(りょふい)の考えを理解できず、振り回されることも多々ありました。
しかし加冠の儀の最中に昌平君(しょうへいくん)が呂不韋(りょふい)へ反旗を翻した際、思わず
「我々を裏切って、その足で大王陣営につくというのか」
キングダム第420話
「貴公には義という言葉はないのか」
と叫んでいるのを見ると、呂不韋への忠誠心は相当なものだったと考えられます。
だからこそ呂不韋も李斯(りし)を信頼し加冠の儀の一年半も前に
「そこで儂は大王ごと、この国を余さず平らげるぞ」
キングダム367話
と、自らの意思を伝えたのでしょう。
それにこたえるように加冠の儀の際は
「咸陽は今一万の敵で陥落するよう守備を薄くしてあるのだ」
キングダム第415話
と手を尽くした李斯(りし)でしたが、その戦いでは敗れ結果的には、牢獄に入ることになってしまいました。
史実では中華統一の内政面で大活躍
作中の第439話で昌平君(しょうへくん)に呼びかける際、李斯(りし)は、
「共に呂不韋様にくすぶっていた才を拾い上げてもらった身」
キングダム439話
と語っていました。
そして史実においても、李斯(りし)は呂不韋(りょふい)の推薦を受けて秦に仕えるようになったとされています。
ただ作中と違うのは、秦の始皇帝が加冠の儀よりも前に李斯(りし)を重用していた点です。
なお作中でも加冠の儀の後に呂不韋(りょふい)が政(せい)との一対一の会談を求めた際、政(せい)が
「新しい朝廷でも大役を担う者達」
キングダム第423話
として李斯(りし)を招き入れていることから、政(せい)が今後重要なポストへ李斯(りし)を登用する意思を持っていることがわかります。
中央集権制や富国強兵制作を積極的に進めるなど、史実では主に内政面において始皇帝の中華統一に大きく貢献しました。
今後李斯(りし)の活躍も楽しみです。
【キングダム】河了貂(かりょうてん)
自分が生きる道を「軍師」という立場に見出す戦う女軍師河了貂(かりょうてん)
死の間際漂(ひょう)が、信に託した地図に載っていた黒卑村で出会ったのは鳥の頭を模した奇妙な藁をかぶった少女、河了貂(かりょうてん)でした。
梟鳴(きょうめい)という山民族の末裔で、過酷な境遇を生きてきた彼女は、信達と行動を共にするのも当初は金目当てでした。
そんな中で徐々に仲間意識が芽生え、また信や羌瘣(きょうかい)が戦場で活躍するのに従い、非力な自分でも同じ場所に立てる軍師を目指しました。
羌瘣(きょうかい)の紹介で昌平君(しょうへいくん)が運営する軍師育成機関に入り、蒙毅(もうき)らと兵法を学ぶことになった河了貂(かりょうてん)は、わずか一年余りで昌平君(しょうへいくん)のお墨付きをもらえるほどの才能を開花させます。
ちょうどその頃、かたき討ちのために羌瘣(きょうかい)が抜けた飛信隊は、作戦立案者がいないせいで連戦連敗の泥沼に陥っていました。
そこへ復帰した河了貂(かりょうてん)は、か弱い少女ということでまわりから疑いの目を向けられますが、予想に反しものすごい才能をみせつけ、一気に飛信隊の信頼を得ることができました。
【キングダム】羌瘣(きょうかい)
驚異的な剣技を持ち、飛信隊副官として新たな目標へ
独特の呼吸法と常人離れした剣技を駆使する、伝説的な刺客一族蚩尤 ( しゆう )の後継候補として育てられたのが 羌瘣(きょうかい)です。
蚩尤 ( しゆう )を決める「祭(さい)」で、それまで姉のように慕っていた羌象 ( きょうしょう )を忙殺され、羌瘣(きょうかい)は復讐のためだけに生きる道を選びます。
そのなかで、信や飛信隊の仲間と出会い、共に戦うことで徐々に心を開くようになった羌瘣(きょうかい)は、復讐心は完全に消えないまでも、飛信隊を自分の居場所だと思える場所ができました。
そんな心の葛藤に区切りをつけるため、飛信隊を一時離れて敵討ちの旅に出た羌瘣(きょうかい)。
趙国・老山(ろうざん)の山中でようやく仇敵の幽連(ゆうれん)と遭遇したものの「祭」当時よりもはるかに力をつけた幽連(ゆうれん)の前に、死の間際まで追い込まれてしまいます。
しかしその時、信や飛信隊の仲間たちの存在が
「一条の光」
キングダム362話
となって彼女を支えたことで、敵討ちをすることができました。
羌瘣(きょうかい)は
「私の帰る場所」
キングダム第363話
と語った飛信隊の元へもどり、あらたな目標を胸に戦い続けます。
新たな生きる道となった2つの目標の生く末とは?
復讐を終え
「象姉の分も精一杯生きる」
キングダム364話
と決意した羌瘣(きょうかい)は、新たな二つの目標を立てました。
その一つが
「私も将軍を目指す」
キングダム第364話
に関しては、著雍(ちょよう)攻略戦のあとに3千人将にまで出世していることを考えれば、可能性は十分にあるといえます。
ただもう一つの目標としていった
「お前の子供をうむ」
キングダム第364話
ということに関しては、予想が出来ません。
信のモデルである李信(りしん)はいずれ子孫をもうけるのですが、そもそも史実にも存在する羌瘣(きょうかい)という人物は女性かどうかも不明なのです。
羌瘣(きょうかい)と同様に行動を共にする河了貂(かりょうてん)の存在もありますし、今後どうなっていくか楽しみですね。
【キングダム】楊端和(ようたんわ)
山の民を率いる蛮族の女王
キングダムでの山の民は、強靭な肉体を武器に使う、独自の文化を持った異民族として描かれています。
その中でも、王都奪還に協力した山の王楊端和(ようたんわ)の一団は、山の民の中でも強力な武器をもった最大勢力です。
成蟜(せいきょう)の反乱では力添えを願い出た政を前に、山の民は当初疑いの態度をとっていました。
しかし、政の中華統一にかける意気込みを聞いた楊端和(ようたんわ)は、政の決意に自信が思い描く
「世界をひろげたいんだ」
キングダム第22話
という思いと通じる部分を見出し、400年前に途絶えていた秦と山界の同盟を復活させます。
そこで楊端和(ようたんわ)は、身に着けていた仮面を外して素顔を見せ、信達はその美しい女性の姿に驚きました。
山の民の協力により政は王の座を取り戻し、その後も楊端和(ようたんわ)との良好な関係が続きます。
王騎(おうき)と龐煖(ほうけん)の因縁が渦巻く秦と趙の戦いでは、匈奴軍20万を他国に知られずに撃破した李牧(りぼく)の情報を伝えるため、自ら秦に出向き、蕞(さい)での防衛線では、北方へ遠征に出ていたのにもかかわらず、8日もかかる距離を7日で引き返し、援軍として駆け付けました。
楊端和(ようたんわ)達の姿を見た信は
「奇跡が起きたぞ」
キングダム第345話
と安堵し、山の民の加勢により秦は滅亡から救われます。
その功績により、大将軍に相当する大上造(だいじょうぞう)の位を得た楊端和(ようたんわ)はその後、秦兵として不落の巨城と呼ばれた衍氏(えんし)城を落とすなど、いまや新生六大将軍の候補ともいわれる存在となっています。
今後も秦国との良好な関係は続くのか?
史実では「史記」には楊端和(ようたんわ)は秦の将軍として書かれています。
しかし彼に関する記述は少なく紀元前238年に魏(ぎ)へ、さらに紀元前229年に王翦(おうせん)、桓騎(かんき)らと趙へ攻め入ったという事しか残されておらず、性別はもちろん、詳しい出自などは一切不明です。
史実とともに、今後予想するなら、これからも楊端和(ようたんわ)は政の中華統一に協力していくと考えられます。
【キングダム】壁(へき)
信とともに成長する頼れる兄貴的存在
かつて昌文君(しょうぶんくん)の副官を務めていた壁(へき)は。信の兄貴的存在で、名家出身ながら、自ら
「金で地位を買ったことはない」
キングダム第17話
と語っているようにまじめで堅実な性格の持ち主です。
また、壁(へき)は信を良く知る人物のひとりで、彼とともに武人として成長を重ね、ときには的確なアドバイスを送ることもありました。
王都奪還の戦いで登場したときは、まだ頼りなさが残る若者でしたが、成蟜(せいきょう)側の軍人・左慈(さじ)を前に自分の無力さを実感した彼は、
「私は武官の極み、大将軍になる」
キングダム第53話
と大きな決断をします。
その後、登場するたびに昇給を繰り返す壁(へき)は、屯留(とんりゅう)で反乱がおこったころには討伐軍総大将という立場を務めるまでに成長しました。
壁(へき)は実在しない架空の人物だった?
また、壁(へき)は実在したかと言えば、史実において彼の名を記してあるものは残っておりません。
唯一残されているのは史記において、紀元前239年に成蟜(せいきょう)が起こした反乱についての記述に「将軍壁死」という箇所があります。
この謀反は屯留(とんりゅう)での反乱を指しており、壁(へき)へはその直前に将軍へと出世していたこともあって、連載当時「史記」を知るファンの間で、壁(へき)死亡を予想する声が囁(ささや)かれていました。
しかしその後、作中では壁は命を落とさず、第378話で反乱軍の将軍・龍羽(りゅうは)が、弓隊に討たれた城内での絶命のシーンで、「将軍壁死」の一説が引用されました。
史記の一文においては
「壁(へき)という将軍が死んだ」
という説と
「塁壁で将軍が死んだ」
という2つの解釈があり、作中では「塁壁」の説を採用したと考えられます。
【キングダム】麃公(ひょうこう)
信に盾を託して散った本能で戦う大将軍麃公(ひょうこう)
信の初陣は蛇甘平原を決戦の地した、魏(ぎ)との戦いでした。
この時、秦の総大将だったのが麃公(ひょうこう)です。
彼は実在した人物ですが、その詳細は不明です。
史記には秦の始皇帝が即位したときの将軍になったことや、紀元前243年に起きた戦で3万の首を斬ったことなどが、記されています。
紀元前243年のこの戦いが、信の初陣に該当すると思われます。
この戦いにおいて麃公(ひょうこう)は信たちが魏(ぎ)の戦車隊をはねのけた場所から戦局が動くと判断し、騎馬隊を向かわせます。
駆け付けた騎馬隊の縛虎申(ばくこしん)が魏(ぎ)の副官・宮元(きゅうげん)を打ち破ると、魏(ぎ)の総大将呉慶(ごけい)に一騎打ちを仕掛けました。
麃公(ひょうこう)は王騎(おうき)が
「私と五分」
キングダム第67話
というほど強さで呉慶(ごけい)を圧倒し、戦いは秦の勝利で終わります。
このときの麃公(ひょうこう)の戦い方や武力、兵を鼓舞するカリスマ性は、信に戦における将軍のあり方を教えました。
合従軍が攻めてきた際、麃公(ひょうこう)軍は独断で魏軍を攻撃し、侵攻を妨げます。
その戦いを目撃した飛信隊は麃公(ひょうこう)軍を援護し、ここで信と麃公(ひょうこう)は初めて目の前で対面しました。
その迫力に圧倒される信でしたが、翌日も麃公(ひょうこう)とともに呉鳳明率いる魏軍と戦い
「本能型の大将軍」
キングダム第267話
の戦いを肌で感じます。
その後、函谷関攻防戦で麃公(ひょうこう)の配下となった信は、軍の背後を狙うという敵の狙いを直感で見抜き、麃公(ひょうこう)と同じ本能型の将軍の才の片りんをいせつけました。
また、その夜麃公(ひょうこう)が
「この戦で化けて見ろ童信(わっぱしん)」
キングダム第289話
と信を挑発すると、信は、望むところだと返しました。
このやり取りの時の麃公(ひょうこう)を、後に信の軍に入った麃公(ひょうこう)の部下丘雷(がくらい)は、
「妙にうれしそうだった」
キングダム第356話
と回想しました。
実子がいない麃公(ひょうこう)にとっては自分と似たような戦いをする信の姿が我が子のように楽しみだったのでしょうか。
その後龐煖(ほうけん)の襲撃を受け、死を感じ取った麃公(ひょうこう)は、
「火を絶やすでないぞォ」
キングダム第325話
と自らの盾を託し、散りました。
信は麃公(ひょうこう)の言葉を胸にさらなる成長を遂げることをと誓いました。
【キングダム】蒙驁(もうごう)
史実でも大活躍した大将軍「白老」蒙驁(もうごう)
蒙恬(もうてん)・蒙毅(もうき)の祖父にして、蒙武(もうぶ)の父蒙驁(もうごう)。
キングダムの中では
「極めて凡庸な将軍」
第108話
と紹介されており、その力も、王騎(おうき)や麃公(ひょうこう)には遠く及びません。
とはいえその功績は大きく、わずかひと月で11もの韓の城を落とすなど、秦の領土拡大に大きく貢献しました。
そんな蒙驁(もうごう)と信が出会ったのが、山陽地方一帯を攻略するための戦いで、敵国魏の廉頗(れんぱ)であるとわかったときです。
蒙驁(もうごう)はかつて何度も廉頗(れんぱ)と戦っていますが、一度も勝ったことがありません。
大事な局面で因縁の相手・廉頗(れんぱ)が相手だと聞いて、大きなプレッシャーを感じた蒙驁(もうごう)は、現実から逃げるように老人歩兵に化けて陣内を徘徊していました。
そんなとき、偶然出会った信に、負け続けた相手と再び戦うことの重圧を打ち明けると、
「次勝って勝ち逃げしてやれよ!そうすりゃじいさんの総勝ちだ」
キングダム第199話
と返されます。
これで吹っ切れたもう蒙驁(もうごう)は、これまで身につけてきたすべてをぶつけて廉頗(れんぱ)と激突します。
結果、片腕を失うといった重傷を負いながらも、廉頗(れんぱ)を退けることに成功しました。
人並外れた武力や精神力をもつ人物が多い「キングダム」において、蒙驁(もうごう)は、年を取っていても、将軍であっても、弱くもろい部分を持っている、親しみやすい存在として描かれています。
合従軍の戦いの後に蒙驁(もうごう)は孫の蒙恬(もうてん)と信に
「蒙恬と信と王賁(おうほん)、三人で一緒に高みへ登れ!そしてやつらに負けぬ英雄に・・・」
キングダム第365話
と告げ息を引き取りました。
蒙驁(もうごう)は、孫たちに夢を託しました。
蒙驁(もうごう)の功績は、おおむね史実に沿っています。
史記によれば蒙驁(もうごう)は、秦の前王荘襄王(そうじょうおう)のときに韓や魏に攻め入り、多くに城を攻め落としました。
信が初陣で守った城も蒙驁(もうごう)がとったものでした。
紀元前242年、魏との魏との戦いに進軍したのも史実で、このときは20もの城を落としています。
詳細があまりわかっていない王騎(おうき)や麃公(ひょうこう)よりも、多くの功績を残した大将軍でした。
歴史上の蒙驁(もうごう)が「キングダム」の蒙驁(もうごう)のような凡庸な人物だったかは不明ですが、多くに人に影響を与えた存在であることは間違いありません。
現代でいえば癖のある社員たちをまとめ上げる理想の上司像に近いのではないかとおもいます。