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伊藤博文(いとうひろふみ)日本初の首相で日本に与えた大きな事とは?〈2021大河ドラマ〉

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【3分で丸わかり日本史】(118)伊藤博文「青天を衝け」の時代 初代内閣総理大臣 長州吉田松陰門下 大日本帝国憲法制定・議会開催に尽力 韓国で暗殺される!

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初代内閣総理大臣としてご存じの方も多いはず・・・

最近では渋沢栄一が一万円札になることが決定していますが、千円札にもなっていた伊藤博文。

そして愛人が29人いたとされています・・・

そして伊藤博文(いとうひろふみ)大河ドラマ『青天を衝け』ではどのように登場するのでしょうか?

是非最後までご覧ください。

伊藤博文(いとうひろふみ)幕末から明治日本の礎を築いた初代内閣総理大臣

伊藤博文
伊藤博文

周防国の農民・林十蔵の長男として生まれます。
父が萩藩の中間(武家奉公人)の養子となり下級武士の身分となりました。

吉田松陰(よしだしょういん)の松下村塾に学び、尊王攘夷運動に身を投じるようになります。

1862年には高杉晋作(たかすぎしんさく)、久坂玄瑞(くさかげんずい)井上馨(いのうえかおる)らと英国公使館焼き討ちに参加。

翌年、長州五傑の一人として英国に留学する。

長州五傑とは?
海外への渡航が極めて難しかった幕末の1863年5月に、5人の長州藩士が藩命を受けて密かに横浜を出発し英国に渡った。
伊藤博文(いとうひろふみ)、井上馨(いのうえかおる)、井上勝(いのうえまさる)、遠藤謹助(えんどうきんすけ)、山尾庸三(やまおようぞう)の5名の長州藩士です。
彼らは、西洋で技術を学んで「生きた器械」になることを志し、長州藩が主導する攘夷運動を有利に進めたり、あるいは諸外国と交わっていく準備をしたりしようとしました。

あきちゃん
あきちゃん

この渡航を機に攘夷派から開国派に転じます。

帰国後の1864年、下関砲撃の四カ国連合艦隊との和議の交渉にあたります。

その後、長州藩の内紛による高杉晋作(たかすぎしんさく)の挙兵(功山寺挙兵)に参陣しました。

明治維新後は、新政府で大蔵少輔、租税頭、工部大輔、などの要職を歴任しました。

1871~73年には、岩倉使節団の全権副使として欧米を視察しました。

帰国後は、参議兼工部卿となり、大久保利通の下で殖産興業政策を推進していきました。

1878年に大久保利通(おおくぼとしみち)が暗殺されると、参議兼内務卿となり、1881年の「明治14年の政変」で大隈重信(おおくましげのぶ)を追放して、政府の実権を握ります。

翌年、憲法調査のために渡欧して、プロイセン憲法(ドイツ憲法)学説を学びます。

帰国後、宮中革命、近代的内閣制度樹立を進め、1885年12月、内閣制度を創立し、初代総理大臣に就任します。

また、憲法立案の中心となり、枢密院議長に転じて草案審議にあたり、1889年、アジア初の『大日本国憲法』が発布され、翌年には帝国議会が開かれました。

プロイセン憲法(ドイツ憲法)→君主制の強い憲法

当時の政府は 天皇中心の国づくりを目指していました。
「みんな平等で、誰にでも等しい権利を認める」という憲法よりも、「君主(国家を治める一番偉い人)の力が一番強い」という憲法のほうが、天皇中心の国を目指す政府には君主の権力が強いドイツ(プロイセン)の憲法は都合が良かったということです。

あきちゃん
あきちゃん

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日清戦争では全権大使として、1895年講和条約の下関条約に調印します。

日清戦争後、政府と政党との対立の頭を悩ませていた伊藤は、衆議院の多数党であった

自由党と立憲政友会を組織し、総裁に就任しました。

政党政治への道を開きました。

首相として4度にわたる組閣、枢密院議長、そして貴族院議長も務め、立憲政治の確立に大きな功績を残しました。

日露戦争後の1905年、韓国統監府がおかれると、初代統監に就任します。

統監辞任後の1909年、満州のハルビン駅頭で民族運動家・安重根(アン・ジュングン)に暗殺されました。

伊藤博文(いとうひろふみ)渋沢栄一との関係とは?

船出したての新政府で上司と部下の立場に

伊藤博文(いとうひろふみ)と渋沢栄一(しぶさわえいいち)のはじめての出会いは、パリから帰国した栄一が新政府に出仕した1869年でした。

栄一が民部省租税正で働きだしたときの大蔵・民部大輔が大隈重信(おおくましげのぶ)、少輔が伊藤博文(いとうひろふみ)で、栄一は伊藤の部下になりました。

以来40年間、上司と部下として政治家と民間の経済人として立場を変えながら、伊藤の死まで2人の関係は続きます。

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伊藤博文(いとうひろふみ)長州の志士の中では目立たない存在だった??

才気あふれる人材がそろった松下村塾では、伊藤は目立たない存在だったといいます。

吉田松陰(よしだしょういん)は伊藤を

吉田松陰
吉田松陰

「才劣り学幼きも、質直にして華なし」

といささか手厳しく評価した。

その伊藤が長州の志士の中では早世することもなく、地道に実績を重ね、内閣創設、憲法制定、議会開設と明治日本の骨格を作り上げました。

大隈重信(おおくましげのぶ)や陸奥宗光(むつむねみつ)らかつての政敵とも手を結ぶような変わり身の早さも指摘されるが、幕末から明治の人物の中で最も立身出世を遂げたのは、その粘り強さにも理由がありました。

井上毅(いのうえこわし)らと起草した『大日本帝国憲法』はプロイセンの立憲君主制を手本に、何度も修正をが重ねられました。

派手な女遊びで悪評も高いが、明治の政治家にありがちな金銭的スキャンダルとは無縁だったことも政治生命を延ばしたとも言えそうです。

伊藤は吉田松陰(よしだしょういん)の攘夷論を批判しているが、世界情勢を知り、現実社会を動かすに目には、昔の師の教えが理念先行と映ったようでした。

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